第12回 映画「アッシイたちの街」
「スクリーンに俺たちがいる」―全商連は1981年、創立30周年記念行事の一つとして映画「アッシイたちの街」を製作しました。京浜工業地帯・下請けの街で働く若者たちの青春像を描いたものです。全商連青年部協議会(全青協)をはじめ、各地の民商会員がシナリオ作成、撮影に全面協力。日本映画史の中で、初めて中小業者の生きざまを真正面から見つめた作品は、多くの共感と感動を広げ、民商・全商連運動への信頼を高めました。
女優・友里千賀子さん(前列右端)と坪井ゆみ子さん(中央で子どもを抱く)ら
自動車メーカー部品の下請けとしてからくも生き延びる早坂精密板金工場。父親を早くに亡くし社長として一家5人を支える兄・茂(古谷一行)は、下請けを脱却して自家製品で勝負しようと夢見るが…。厳しい納期と低単価、そして些細なミスも許さず返品し、倒産に追い込む親会社の搾取と横暴が、ロック・バンドをつくる若い工員たちの夢や苦悩とともに描かれています。"アッシイ"とは自動車部品を指す業界用語で、バラバラの機械部品のように、一つ一つでは役に立たないものの、集まって大きな連帯の力を発揮しようとのメッセージを込め、中小業者の存在を正面から描き出しました。
79年秋から全商連、映画関係者で企画委員会を構成、映画の内容について討議を重ね制作がスタートしました。シナリオ作成のための取材は新潟・群馬・東京・神奈川・愛知・兵庫などの会員に協力を求め、80年春から撮影が開始されました。映画の登場人物たちのモデルは多くの民商会員、等身大の中小業者そのものでした。
脚本は「若者たち」の山内久氏、「あゝ野麦峠」など社会派作品を送り出した映画界の巨匠・山本薩夫監督を迎え、俳優は三国連太郎、乙羽信子、友里千賀子、関根恵子など一流の役者ばかり。タイトルバックに「協力・全国商工団体連合会」の文字が浮かび、札幌、東京、愛知、大阪で4週間のロードショーが行われたのをはじめ19都市で一般上映。81年度優秀映画ベスト6位にランクされ、内外から優れた作品の評価を受けました。
全商連は映画制作・上映運動を通して団結を強めるとともに、広範な業者や地域の人々との交流を深め、民商・全商連運動を一回りも二回りも幅広い活気のある活動にしようと提起。「自分たちがつくった映画だ」という誇り、文化活動の重要性を会員・読者に伝えようと、映画館のない地域でも自主上映をしました。
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映画の思い出を語る藤栄さん(右)と坪井さん
映画の重要なシーンのロケが行われた愛知。古谷一行が演じた主役・茂のモデルの一人として、シナリオの取材、工作機械を操作する演技指導などに協力した藤栄茂行・愛知県連副会長。当時、全青協の役員を務めながら、藤栄製作所を経営。トヨタの3〜4次下請けとして、親会社から図面一枚でねじ加工などの仕事を請け負っていました。「映画で描かれていたように、ねじ1万個の加工で1〜2個の不良品があれば返品。"韓国単価"の押し付けが始まった時代でした」と言います。
奥田英二が演じたターレット屋・努のモデルは坪井雄一さん(当時30、15年前に他界)。有限会社坪井製作所を引き継ぐ妻・みよ子さんは「取材に来た脚本家の山内さんが、暗い工場でろくろを回している夫の姿を見て涙を浮かべた」ことを覚えています。「アッシイは、業者青年の実態、怒りや悔しさ、そして仕事に対する誇りをありのままに伝えたんです」と映画製作の意義を語りました。
戦後第二の反動攻勢期に撮影されたアッシイ。大企業は資本力にものを言わせて世界に打って出る一方、多くの下請けが無慈悲につぶされていった時代でした。「30年後のいま、アッシイが投げかけたメッセージは少しも古くなっていない」という藤栄さんと坪井さん。大企業が空前の内部留保をため込む一方、中小業者の多くは塗炭の苦しみにあえいでいます。「だからこそ、団結してたたかう民商を大きくしなければ」「60周年を機に、新たな前進をかちとりたい」―笑顔で語ってくれました。
歴史に学び未来へ=民商・全商連の60年
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