第11回 仲間同士の助け合い「全商連共済会」
全国商工団体連合会(全商連)は84年、共済会を創立し、これまでに延べ140万人を超える人たちへ、815億円余りの共済金を届けてきました。当初は10万人だった共済加入者は、26万人に増加。保険会社などとの契約で始まった制度は、自前の助け合いの制度として豊かに発展し、民商の魅力の一つになっています。その発展の土台になったのは生存者重視の「本則制度」の発足でした。
全商連共済会発展のために尽力した露木さん(右)と中島さん
全商連は、無権利状態に等しい自営商工業者の営業と生活・権利を守り、社会的・経済的地位向上をめざして運動する民商にふさわしい共済運動のあり方を模索し探求してきました。
76年、共済制度のガイドラインを示し、すべての県商工団体連合会(県連)で共済会の設立を提起しました。しかし、保険会社と団体契約を結んで制度をつくるにあたって多くの制約があり、早期に実施することが困難となりました。
保険会社と手を切り、自前の共済として発足させる方針は積極的に受け止められ、全商連共済会は84年4月に発足。しかし、各県ごとに保険会社や全労済と団体契約してきた経過があり、「災害保障付生命保険」という「保険的要素」を残して出発したこともあって、「助け合いといいながら加入できない仲間がいていいのか」という議論が起こりました。
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87年以降、産業の空洞化に伴い自殺者の数が増加。89年に消費税が導入されたこともあり、仲間からも多数の犠牲者が出ました。
神奈川・戸塚民商顧問の中島勇さん(81)=賃貸=は「円高による不況で商売・生活が苦しくなり、健康を害していても病院に行けない中小業者が自ら命を絶った」と振り返ります。
全商連共済会は「仲間から一人の犠牲者も出すな」を合言葉に、「民商・全商連共済運動の一層の発展をめざして」を討議。いのちと健康を守る「集団健康診断」の推進も検討されました。
中島さんは、一人の共済金が多くの仲間の共済会費に支えられていること、入院だけではなく自宅での安静加療でも見舞金が出る制度に改善されたことなどを対話と行脚で説明し、本則制度の理解を促しました。
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紆余曲折を経ながら91年12月、全商連共済会は第9回臨時総会を迎えます。民商会員は年齢・健康状態を問わず加入が可能になり、集団健診助成金の創設、一日の入院見舞金の1500円から3000円への引き上げなどを柱とした「新規約」が提案され、圧倒的多数で採択しました。
全商連共済会の発足時から理事長だった露木公一さん(故人)は、「運動の火を燃やし続けた全国の会員・役員の顔が目に浮かび、不覚にも涙をこぼした」(『全商連共済会10年のあゆみ』より)と、当時の感想を残しています。
本則制度発足後、「目くばり、気くばり、心くばり」を合言葉に、見舞金の申請や共済金の手渡しなど、会員同士の結びつきが深まり、「喜びはともに。悲しみを分かち合い。困難な会員を励ます」活動が旺盛に進められました。
全商連共済会の発展は、後の阪神・淡路大震災に伴う特別措置など助け合いの運動に全国の組織が団結することの尊さを教訓として残しました。また、この間の保険業法規制とのたたかいにおいても、徹底した「自前の共済」として発展したことが、助け合い共済の破壊を許していません。
露木さんの退任後、全商連共済会副理事長を務めた中島さん。集会や行動の場で、「組織拡大でも集金でも、決めた方針を守らないのは、その組織と役員の怠慢。会員に対して不誠実だ」という露木さんの叱咤激励をよく耳にしました。
「いつも仲間のことを考える人だった。どんな嵐も団結の力で乗り越えられることを教えてくれた」と、全商連共済会の発展に奮闘した日々を振り返りました。
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歴史に学び未来へ=民商・全商連の60年
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