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真の男女平等・平和な世の中に
世界中の女性たちが連帯し、今年も3月8日に「国際女性デー」が行われます。国内でも各地で集会や宣伝行動が計画されています。ほとんどの国で女性の選挙権も女性労働者の権利もなかった20世紀の初め、アメリカの女性たちが「パンをよこせ、女性にも参政権を与えよ」と立ち上がり、大規模な集会やデモが行われました。ロシアでは女性たちが「戦争反対、夫や息子を返せ、パンと燃料を」などの要求を掲げ行動しました。
コペンハーゲンで開催された「第2回国際社会主義女性会議」で国際女性デーの創設が決められ、1921年には3月8日を世界共通の「国際女性デー」とすることが決められました。
日本でも、自由と人権を求める運動が広がり、製糸工場のストライキや米騒動などが起こります。そして、婦人参政権など、女性解放を求める運動も進みます。国内で初の女性デーは1923年3月8日に行われました。その後、厳しい弾圧で集会は開けなくなりますが、女性たちは自宅に集まるなどして、抵抗の灯を守り続けたのです。
アメリカは1954年3月、ビキニ環礁で水爆実験を行い、日本のマグロ漁船が被爆しました。多くの鮮魚商が営業上の打撃を受けたことから、全商連は「原爆禁止ならびに水爆実験の中止」の声明を出し、事態の打開を求めます。東京・杉並民商役員で鮮魚店を営む菅原健一さん・とみ子さん夫妻は原水爆実験中止を求める署名を開始。運動は区内の女性たちに、そしてまたたく間に全国に広がりました。中小業者の行動に端を発した運動は大きなうねりとなり、原水爆反対、平和を願う世界の女性たちの連帯はいっそう強いものとなりました。
広範な分野から女性の要求を結集させるこの日、業者婦人たちも「働き分を認めよ」「出産の時ぐらいは休みたい」と切実な声をあげ行動してきました。
「国際女性デー」は1977年、国連総会決議で国連デーとなり、毎年事務総長がメッセージを発表しています。1979年には女性のたたかいの結晶として、女性差別撤廃条約がつくられました。100年の歴史とたたかいの伝統を引き継ぎ、業者婦人の地位向上と男女平等、平和を求めて今年も地域で行動しましょう。
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