全青協結成40周年 (1)全青協結成に向け
全商連青年部協議会(全青協)は11月8日、結成40周年を迎えます。結成三つの意義(別項)に基づき業者青年の要求実現と地位向上のため奮闘してきた全青協の歴史に学び、新たな前進のスタートを ― 。運動の成果や仲間づくりの経験を当時の青年部員の証言とともに振り返ります(隔週掲載)。
「力を合わせ要求を実現しよう」と誓い合った全青協結成総会(1975年11月)
「営業と生活を守る運動に、若さと誇りと生きがいを」 ― 。1975年11月8日、各地から約400人の業者青年が集まり、力強い呼び掛けとともに全商連青年部協議会(全青協)が結成されました。国税当局の民商弾圧に対し、青年も立ち上がろうと開かれた第1回全商連青年部交流会の「山中湖アピール」(63年)で、「全国の民商に青年部を」と呼び掛けられてから12年。念願の結成でした。
64年当時、全国35組織だった民商青年部は、それからわずか10年余りで、8000人超の部員を迎え入れ、279民商で青年部が結成されます。急速に広がる青年部は「仲間が欲しい」という業者青年の要求の反映でした。
60年代、日本が高度経済成長期に向かう中で、多くの業者青年は10代から家業を支え、忙しさから出会いの場が少なく「友達や彼女が欲しい」という共通の悩みを抱えていました。当時は夜間使用できるナイター設備の整った運動場もほとんどなく、日中働く青年たちにとって「夜間でも思いっきりスポーツがしたい」というのも大きな要求の一つでした。
この二つの大きな要求を同時に解決しようと始まったのが、青年部の「業者青年ソフトボール全国大会」です。
「友達」や「スポーツ」など多彩な青年の要求に応え
当時神奈川県で行われたソフトボール大会の優勝旗を手にする二瓶さん
神奈川・横須賀民商青年部(当時)で全青協副議長も務めた二瓶健治さんもソフトボール大会を通じ、青年部に関わるようになった一人。「建設業の青年が重機を持ち込み、山をならしてグラウンドを作り、夜が明けるまで飲みながら語り明かした」と振り返ります。会外の青年にも広く呼びかけたソフトボール大会は、開催するごとに参加人数も増え、多くの業者青年が民商とつながるきっかけに。集まった青年たちの要求をまとめて文部省(当時)に要請し、全国でナイター設備を備えた運動場建設を進める大きな力となりました。
「青年部活動を通じて、それまで申告をするために入っていた民商が楽しくなった」という二瓶さん。ソフトボールやスキー、バーベキューなどの行事を通じ、多くの人と出会い、語り合うことで「社会に目を向け、商売人としての生き方に確信を持てた」と語ります。
全青協40周年に向け、「何十年後も全国の仲間とつながれるのが青年部の良いところ。仲間とつながり楽しく未来に進んでほしい」とエールを送ります。
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全青協結成三つの意義
(1)全国の民商青年部の力を一つにして、業者青年の要求を一つひとつ実現していく。
(2)民商・全商連運動を一層活気あるものにし、新たな飛躍を築く力となる。
(3)広範な青年戦線の一翼となり、政治を革新し平和で豊かな日本の建設を目指す国民の運動を強める。
全国商工新聞(2015年6月15日付) |