東北地方太平洋沖地震の緊急情報(6)
2011年3月15日
全商連東北地方太平洋沖地震対策本部
本部長 国分 稔
県 連 御中
東北地方太平洋沖地震の緊急情報(6)
その後の情報についてお知らせします。
宮城 宮城県連の永澤事務局長から14日に左のメールが寄せられました。
当日は、気仙沼民商の集会に参加をしておりました。地震発生は集会が終了し、会場の片づけ・デモの準備にさしかかるところでした。集会会場は学校や公的機関がある中心部の高台でしたので市内の様子がよく見えるところでした。とにかく今回ほど縦揺れと横揺れが交互に長〜く揺れた地震は初めてでした。緊急地震速報が津波警報のサイレンに変わったためデモは急きょ中止。会場前の公園に留まって収まるのを待ちましたが公園のベンチに座っても、トイレに座っていても揺れが収まらず「いつ終わるんだろう・このまま粉々になるまで揺れ続けるんだろうか」という映画のシーンを見ているような様子でした。菅原会長と千葉事務局長の判断でデモ・集団申告は中止、申告書は事務局で預り後日税務署へと参加者に伝えると、10分もしないうちに「津波だー」との声があり公園に集まっていた私たちと市民や中学生が市内を見下ろせる畑に降り立つと、海水がどんどん押し寄せ、家屋や工場、商店の建物が水と一緒に下流から上流に、低地から高地にひしめき合って流されてきました。街は一瞬にして瓦礫が渦巻く海に変わってしまいました。しばらくすると「大衆風呂」「加工場」「造船所」の燃料施設から火の手が上がり黒煙が1本、2本とあがり始め、気仙沼湾内を大型船が漂流する事態になりました。もし、もう少し早くデモ行進を開始していたら「デモ隊列」は全員水に呑まれたでしょう。高齢者・足の不自由な方のためにと借用したマイクロバスは瞬時のうちに水に流され、運転していた吉田副会長はとび下りて無事でしたが、車両はどうなったでしょうか。気仙沼の事務所は幸い水没を免れましたが事務所の中はメチャメチャです。私は、その後海岸線を避け、まっ暗闇の中を山道〜山道と走り続け夜中の11時過ぎに多賀城市の自宅にたどり着きました。次の日、塩釜民商の中村事務局長と会い様子を聞きましたところ、事務所は海岸にあるため液状化現象で泥水が吹上げてきたため、パソコンなど必要最低限の機材を鈴木事務局員と車に積み込み、山手に向かって避難。タッチの差で津波から逃れたとの事。市内はご多聞にもれず水が押し寄せ、事務所は流された模様です。観光地松島も観光商店街は、津波の水が流れ込み窓ガラスは破壊され、道路・店舗は奥まで黒い汚泥で手がつけられない状況です。その他報道されている通りの地域にも会員さんがおりますが電話は不通、道路は寸断され、ガソリンスタンドも閉鎖されていますので確認に行けていません。全容が判明するまでしばらくの時間がかかるようです。
岩手 岩手県連からの14日のメールを紹介します。
(1)大船渡民商=2時からの集会の最中に被災したと思われるが何の情報もない。集会場の農協会館からデモに入っていて、45号線に上っていたら、冠水が少ないので脱出できた人もいるかも知れません。西條前局長、鈴木俊男元会長、佐々木幸子元事務局、三浦市議含め消息不明。民商事務所は確認とれませんが地域的には崩壊してないと思われる。(2)陸前高田=2時からのふれあいセンターで集会中に震災? その後の状況が不明。誰一人連絡とれず。民商事務所周辺は瓦礫で崩壊。(3)上閉伊=2時40分に小佐野コミニティーセンター集会・税務署申告書提出終了。解散して走り出したところで震災、菊池礼子さんが市役所に申告書届けると言っていたとのことで、連絡とれず。大槌方面に帰宅した会員不明。及川一男会長は無事確認。松原町の民商事務所周辺は形がない状況。(4)宮古=震災と同時に、集会会場で申告書を木村局長が回収して解散? その後消息を確認出来た人は木村会長、木村局長、深澤口一家、大森副会長。民商会館は無事とのこと。(5)久慈=被害甚大なのは野田村、会員10名の安否確認中。
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