核兵器・原発なくせ=3・1ビキニデー集会
核兵器廃絶への決意を固め合った3・1ビキニデー集会
「被災58年2012年3・1ビキニデー集会」(原水爆禁止世界大会実行委員会、被災58年3・1ビキニデー静岡県実行委員会主催)が2月28日〜1日、静岡県内で開催されました。福島第1原発事故の放射能被害が深刻さを増す中で原発からの撤退と自然エネルギーへの転換を打ち出しました。同時に、オーストリア・ウィーンで開催される核拡散防止条約(NPT)再検討会議の第1回準備委員会(4月30日)に向け、核兵器のない世界を実現するため新たな行動を広げる決意を固め合いました。
3日間の行動には原水爆禁止日本協議会(日本原水協)の代表理事を務める国分稔全商連会長をはじめ静岡県商工団体連合会(県連)からも大石秀之会長はじめ70人が参加しました。
1日に開かれたビキニデー集会には昨年を上回る1800人が集まり、通路や会場外にまで人があふれ、熱気に包まれました。
来賓の清水泰焼津市長は「核兵器と人類は共存できません。平和を愛する心を承継していくことは市の使命。引き続き平和運動に取り組む」と決意を語りました。
安斎育郎・世界大会実行委員会議長団が主催者報告を兼ねて講演。広島、長崎、ビキニ、福島の核被害を身をもって体験した私たち日本人こそ、歴史を切り開く力を発揮すべきと強調しました。
マーシャル諸島・ロンゲラップ島から参加した被ばく2世のグレース・アボンさんが報告。強制的に移住させられた島民が離れ離れにされたことや、土地を奪われた島民は尊厳を失い、移住先では差別を受けたと告発。
福島から参加した早川篤雄さんは「核兵器の廃絶と原発ノーの世論が高まっています。久保山愛吉さんの悲壮な願いを心に、福島の被災者と一緒に運動します」と決意を語りました。
日本原水協に匿名で寄せられた300万円の募金で購入した放射線量測定器の目録を、国分代表理事が福島県農民連の代表に手渡しました。
「核兵器全面禁止のアピール」署名を広げ、すべての自治体での「被爆写真展」の開催、原発撤退の諸運動との連帯を訴えた集会アピールを採択しました。
初めて参加した静岡県青協議長は「核兵器廃絶に多くの青年が参加していることに勇気づけられた。民商、青年部でも取り組みを強めたい」と決意を新たにしていました。
午前中は日本宗教者平和協議会などが主催し、久保山愛吉さんの遺影を先頭に焼津市内を献花墓参平和行進。同市内の弘徳院で墓前祭を行い、久保山さんの遺影に献花をささげました。
▼3・1ビキニデー
1954年3月1日、アメリカは中部太平洋マーシャル諸島のビキニ環礁で大規模な水爆実験を行いました。アメリカが指定した危険区域を大きく越える地域に放射性物質「死の灰」が飛散しました。マーシャル諸島の島民や日本の遠洋漁船が被ばく。第五福竜丸の乗組員23人も「死の灰」を浴びました。無線長だった久保山愛吉さんは同年の9月23日に「原水爆の被害者は私を最後に」の言葉を残して亡くなりました。その歴史と運動を学び、核兵器を禁止し、核被害を根絶する決意を新たにする日として、3・1ビキニデー集会や行進などが取り組まれています。
全国商工新聞(2012年3月19日付)
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