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  トップページ > 平和・民主主義のページ> 核兵器廃絶 >全国商工新聞 第2909号 1月11日付
 
核兵器廃絶
 

NPT再検討会議に向け奮闘・核兵器のない世界必ず

 「気は抜けないよ。リーダーの宿命だから」。名古屋市原爆被害者の会の会長を務める愛知・守山民主商工会のHさん=金型=は、すべての被爆者に国が補償するよう仲間と奔走し、5月にニューヨークで開かれるNPT(核不拡散条約)再検討会議を成功させ、1日も早く核兵器を廃絶しようと全力を注いでいます。

国は被爆者の救済を
 愛知・守山民商 Hさん=金型

 「核兵器廃絶を求める世界の流れを後戻りさせてはいけません。NPT再検討会議に向け、『核兵器のない世界を』署名を世界に広げ、国際的に運動を盛り上げなきゃ。私も仲間と競争しながら集めています」と話すHさん。
 NPT再検討会議に参加し、「被爆の実態をアメリカの人びとに伝えたい」と願っていました。しかし、原爆症で心臓の調子が悪く、残念ながら医師から渡米を止められました。
 それでも月に最低1度は核廃絶の署名宣伝行動でマイクを握るHさん。毎週、被爆者の原爆症認定手続きを含めた相談会を続けています。

 原爆被害の実態を告発
 「死ぬ前になんとしても原爆被害の残酷な実態を告発したい」と03年に始まった原爆症認定集団訴訟。国が原因確立論に固執し、放射性降下物や残留放射能の外部被ばく、内部被ばくの深刻な影響を否定するのに対し、被爆者の会、原告団、弁護団、支援者の会のメンバーらは疾病などの関係を立証しようと粘り強くたたかってきました。科学的な解明とともに運動と世論を広げ、各地の地裁、高裁の裁判は21連勝(09年11月30日現在)。認定基準を2度、改定させるとともに、全面解決に向けて国を動かし09年12月1日、ついに集団訴訟で敗訴した原告を救済するための「基金創設法」を成立させました。
 しかし、これですべての被爆者が救済されるわけではありません。申請したものの、今なお認定されないままの被爆者は8000人。Hさんが最近、受け取った手紙には「さいばんにも行けないしどこにも行ったこともありません。病院と家だけで苦しいです」と今も苦しむ様子が切々とつづられていました。  名古屋市在住の被爆者は1150人(09年3月末)、そのうち原爆症認定を求める申請者は171人です。Hさんは申請書の書き方から、時には代筆し、県庁までの申請、病院への付き添いをはじめ、原爆症の認識が不足する医師を説得する活動を続けています。
 「平均年齢は76歳を超え、その気があっても動けない人が増えています。好んで被爆した人は誰一人としていないんです。国は補償せねばなりません」と申請書をコピーしたファイルを前に思いを語りました。

 17歳の時に被爆
 平和運動に尽力

 Hさんは17歳の時、広島市の原爆被災者を救援するため、入市被爆。「水をくれ〜」と叫ぶ人、衣服が焼けてほとんど裸身の人。やりきれない思いで遺体を焼くなど無残な光景を目の当たりにしました。戦後、名古屋の三菱電機で組合活動と反核・平和運動に尽力するも、レッドパージで解雇に。
 その後、白血球減少症による肺結核で闘病生活を強いられ、回復後に、塩化ビニールプレスの金型を製作する事業を立ちあげ、民商に入会。民商の会長や共済会理事長を務め、今は常任理事を務めています。その間も肺腫瘍、狭心症、心筋梗塞で繰り返し入退院を余儀なくされました。それだけにすべての被爆者の救済と核兵器廃絶を願う思いは強い。
 「国は被爆国なのに核抑止力の維持を米国に求めるありさまです。核兵器はどんなことがあってもなくさなければ」

   
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