戦後70年未来への伝言 捕虜になりシベリア連行
「戦争する国づくりは許せない」と筆書きした憲法9条を背に話す木下さん
チフスで入院、九死に一生=埼玉県・木下専次郎さん
今年は戦後70年の節目。私は満州(現中国東北部)に出征した体験を思い出しました。
敗戦が近づく1945年2月に入営して博多港から釜山に上陸。朝鮮半島を北上して満州の西東安に駐留する関東軍の騎砲兵隊に入隊。そこで乗馬訓練や馬の世話などをさせられました。同年7月ごろ、私は教育隊に派遣され八面通の山中で陣地構築に入りました。
そして8月8日が過ぎたあたりでしょうか。戦友2人と不寝番についていた未明、本隊から駆け付けた兵が「ソ連が虎頭方面から侵入してきた。大至急本隊に帰れ!」と怒鳴ったのです。こうしてソ連軍と戦闘状態に入ったのです。戦闘中、私の目の前で、ソ連軍の砲弾がさく裂して体を吹き飛ばされて死んだ戦友が何人もいるのを見ました。
8月20日ごろでしょうか。横道荷子の山中で敗戦を憲兵から知らされました。その後はソ連軍の捕虜としてシベリアに連行され、重労働で栄養失調と発疹チフスになり、病院に入院して九死に一生を得ました。新たな人生が始まったのです。
しかし、満州から南方へ戦線を移動して戦死した多くの人は餓死だったと、戦争が終わってからさまざまな書物などで知りました。
戦後70年の節目に安倍政権が進める集団的自衛権行使を容認するわけにはいきません。「戦争する国づくり」の暴走を許さず、憲法を守り、平和を守る運動を強めなければならないと痛感しています。
全国商工新聞(2015年4月13日付) |