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平和・憲法
 

戦後70年未来への伝言 生活監視と飢え、動員、空襲

「15年戦争」悪夢の日々=神奈川県・入交寿賀子さん

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 私が横浜で小学校に入学した1931年に満州事変が起きて、「15年戦争」が事実上始まりました。
 学校では「天皇のために、命を捨てよ」という教育を受けました。女学校に入学すると「支那事変」を境に本格的に戦争に突入しました。軍人が政治の中心に座り、次々と国民の自由を奪う制度が出され、衣食住に事欠く事態に陥りました。言論の自由もなくなり、戦費のために国債や貯金を強制されるようになったのです。
 1941年12月8日の真珠湾攻撃でアメリカとイギリスとの戦争に突入。男性は徴兵、徴用で戦地などに動員され、街は老人と女性ばかりになりました。軍隊から逃げ帰った友人の兄は、家族の前で銃殺され、「非国民」として一切、付き合いをなくしました。
 隣組制度や国防婦人会などは生活まで監視の目を光らせ、竹槍で人殺しの訓練や空襲に備えてバケツに水をくんで消火する防空演習などに動員させられました。参加できないお年寄りや障害を抱える人たちは、つらい目にあっていました。食料はなく、子どもたちは栄養失調でおなかばかりぽっこりと膨れ、湿疹とシラミに悩まされました。
 買い出しで、農家に分けてもらった食料を警察に発見されると全て没収されました。
 中学生の弟2人は、勤労動員先で、一人は機械で指を2本失い、一人は腕を切る大ケガを負いました。
 兄は19歳で出征して南方で戦死。叔父たち5人は幼児を残して戦死しました。私も妹も空襲で負傷しました。
 米軍の空襲で日本は焦土と化しました。たくさんの人の命が奪われました。私が体験した戦争です。戦争は人を殺し、自分も殺される。孫たちの世代には体験させたくない。戦争は絶対に反対です。集団的自衛権行使など、改憲を進める安倍政権はノーです。

全国商工新聞(2015年3月9日付)
 
   

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