「戦争を語る会」 悲惨な戦争体験を承継=大分
自身の戦争体験を話す阿座上弘人さん(中央)
大分民主商工会(民商)は10月31日、「戦争を語る会」を開き18人が参加。満州義勇軍の悲劇を描くビデオ「蒼い記憶」を上映し、会員の戦争体験を語ってもらいました。
1941年に満州開拓団に参加し、九死に一生を得たIさんは「10町の田畑をやるから」と言われ満蒙開拓義勇団に参加。「毎日、現地の人から奪った土地で農耕半分、軍事訓練半分の日々でした」と当時を振り返ります。
敗戦間近にソ連軍から攻撃を受け、徴兵されたものの、日本軍は先に逃走。ソ連軍に引き渡され、現地で作業に従事させられました。
終戦から13年後にようやく日本に帰国した池田さんは「満州で死んだ人は何も報われていない。この人たちにとってはまだ戦争は終わっていない。アメリカと軍事同盟を強める政府は許せない」と語りました。
Aさん(当時8歳)は44年、北九州の八幡製鉄所の近くにある商店街に住んでいました。空襲で自宅近くに爆弾が落ちました。
「火の海になった路地裏、燃え盛る紙屋の倉庫。逃げ惑いようやく逃げのびました。防空壕に逃げても亡くなった人がいる」と悲惨な光景を語りました。
参加者は「子どものころ、軍事工場で手りゅう弾を作っていた時に大分空襲に遭いました」と自分の戦争体験を話してくれました。「戦争を語る会は初めての取り組み。これを続けて憲法を改正されないようにしよう」などの感想も寄せられました。
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