板金職人が「銅板折り鶴」 平和の願い乗せ羽ばたけ
「平和な沖縄へ、何かできればと思って」―沖縄戦最後の激戦地、糸満市にある平和祈念公園に供える銅板製の千羽鶴を製作している京都府板金工業組合(田原茂理事長)。被爆地広島、長崎への寄贈に続き3度目。折り鶴に託す平和への願いは、組合の存在価値を高め仕事への活力もつくりだしています。
基地に揺れる沖縄を思い、燃えぬ千羽鶴贈り連帯
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銅版で作った折り鶴 |
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千羽鶴を作る京都の「明日の名工たち」 |
薄く延ばした金属を使い、雨漏りのない美しい屋根や外壁などをつくり、雨どいなどを設置する業者でつくる板金組合。家づくりの最後の姿・形を決める仕事に携わる職人たちの集まりです。
その職人たちの集団がなぜ、沖縄に折り鶴を―。
「普天間基地の移設問題ですよ」。「京の名工」の一人でもある田原理事長の言葉です。「沖縄の人たちは『基地をつくるな』と言っているのに、政府の態度がコロコロ変わる。千羽鶴を通じ、戦争とか平和を考えることにつながればと考えたんですわ」
取材に訪れた時も4人の青年部員が集まって製作の最中。全員京都府が認定した「明日(あした)の名工」です。手慣れた作業。わずか15分で1羽を仕上げる部員もいます。
千羽鶴放火に胸を痛めて…
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銅版製の鶴をステンレス製の針金でつなぎ「千羽鶴」に仕上げる |
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「平和への思いと組合のイメージアップを重ねたい」と話す田原理事長 |
もともとのきっかけは2002年に起きた千羽鶴放火事件。広島の平和記念公園にある「原爆の子の像」の前に供えられていた5万羽の千羽鶴が燃やされました。
「燃えにくい銅板製の折り鶴をつくって広島に送ろうじゃないか」。事件を知った田原理事長の呼びかけに青年部の有志が応え、製作に着手。仕事の合間にボランティア活動でつくりあげ平和公園に寄贈しました。
「事件を風化させたくなかった。平和について何かできることをしたいという思いでした」と、当時青年部副部長だったTさんは振り返ります。
翌03年は組合全体で千羽鶴を製作し、長崎の原爆資料館に贈りました。
マスコミは「京から燃えぬ千羽鶴」などの見出しで板金組合の千羽鶴活動を大きく報道。組合に活気が戻る一方、「売名行為ではないか」という声も聞こえてきました。
「組合の存在のPR。イメージアップを図りたいとの思いは当然ありました」と、田原理事長は率直な思いを語ります。
夏は暑い、冬は寒い決してラクではない板金の仕事。「彼女から『何の仕事』と聞かれて板金と答えても『それって何』っていうもんですわ」と田原理事長は笑います。
10年前に比べ、京都府板金組合の組合員数は100人近い減少。現在の組合員は京都全体で230人に過ぎません。仕事も減る一方で、後継者問題にも直面しています。
平和への願いと組合の存在価値
「ものづくりの面白さを若い人に伝えたい。そのためにみんなが元気になってほしい。千羽鶴は平和の願いと組合の存在価値を重ねたものなんです」。田原さんの熱い願いでした。
長崎への千羽鶴の寄贈後、04年には京都迎賓館の屋根工事を京都府板金組合として受注。1年半にわたり歴史的な建造物の仕事にもかかわりました。
そして今年は沖縄への千羽鶴贈呈。千羽鶴、京都迎賓館―。二つの仕事を通じ、組合員の中で確かなものとなった板金への誇りと自信。
Tさんはいいます。
「千羽鶴を通じて建築関係の仕事では出会えない多くの人たちと交流ができた。千羽鶴も板金の仕事も続けがいのある仕事です」
銅版折り鶴の作り方
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銅版をけがいて折り目を作る |
厚さ0・15ミリの銅板を(1)12センチ四方に切り(2)けがいて(銅板に傷をつけ線を描くこと)(3)平つかみばしを使い、紙を折るように線に沿って曲げる-の3工程。仕上げは金づちでたたき、折り目の美しさを出すのがポイント。一羽折るのにかかる時間は平均30分。千羽折るための手間賃は100万円を超える。
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