日米安保条約改定50年「今こそ基地をなくす時」=沖縄
「沖縄から基地をなくせる時代が来ている」――。30年にわたって沖縄県商工団体連合会(県連)の会長を務めてきた山川恵吉さん(74)の思いです。その半生は「平和」と「商売」を重ね合わせ、民商運動を通して基地撤去を求め続けてきたたたかいの歴史でした。日米安保50年の節目の年に、基地撤去の県民運動が大きく広がる沖縄で山川さんに話を聞きました。
9万人を超える県民が参加し、島ぐるみのたたかいが広がった沖縄県民大会(4月25日、沖縄・読谷村)
新しい時代が来ている
4月25日に開かれた「米軍普天間飛行場の早期閉鎖と県内移設に反対し、国外・県外移設を求める県民大会」に参加し、「本当に時代が変わった」と実感しました。
9万人を超える県民が参加し、全41市町村長が賛同する文字通り超党派の運動になったのは初めて。あの祖国復帰闘争のことを思うと感無量です。「自分は米軍関係から仕事をもらっている。だけど、それはそれ。これまで米軍から受けてきた被害を子どもや孫に残したらだめだ」と初めて集会に参加した会員もいました。
業界団体や自治体の声も変わりつつあります。建設業界との懇談では、幹部が「基地建設の仕事は本土の大手ゼネコンが受注して、地元企業は潤わないのが現状。もう基地経済には依存しない」と語るんです。自治体との懇談でも「基地受け入れの代わりに交付金をもらって箱物をつくっても、維持費などが大変。交付金よりも平和な沖縄がほしい」という回答が返ってきます。
以前は「民商とは考えが違う」と話し合い応じないこともあったのに、今では帰り際に「頑張って」と話す人もいます。
日米安保条約についての、地元紙調査では、県民の半分以上が「平和条約に変える」「廃棄」を望んでいます。安保条約改定50年の節目の年ですが、私たちの運動でその存続が鋭く問われています。
民商の前進と基地撤去闘争
こうした世論の背景にあるのは、地上戦を経験し家族や友人を亡くした世代と、米兵犯罪など怖い経験が日常を覆う若い世代に共通して、「平和が一番」「米軍が残っていたらいつまでもひどいまま」という思いがあるからではないでしょうか。
沖縄県初の民商は、那覇民商で1974年に設立されました。当初から安保条約廃棄と米軍基地撤去を掲げていました。
私は75年に那覇民商に加入。後に沖縄民商を設立し、80年から県連会長を務めました。当時は「民商に入っていると商売できないよ」と暗に言われるほどの下で、業者の営業と権利を守りながら皆の力で県内に五つの民商をつくり、仲間を増やしてきました。
また安保破棄を掲げ暮らしと民主主義を守る沖縄統一連の構成団体として基地撤去闘争を進めてきました。今年の名護市長選挙では、名護民商が推薦、応援した辺野古基地建設反対派の稲嶺進氏を当選させました。少しずつ私たちの運動への理解が広がってきたのです。
家と畑を日本軍に奪われ…
自分は戦争中に飢えとマラリアに襲われる中で母を亡くしました。徴兵されていた兄も亡くし、故郷・宮古島の家と畑は日本軍に奪われて滑走路にされ、戦後は農家の日雇いで働きました。その経験から「戦争・軍隊は人の命を奪うもの。米軍であれ何であれ、戦争も軍隊もだめ」という思いが根っこにあるんです。だから、何と言われようと頑張ってこれたんです。
「理のあるたたかいをすれば、必ず通じる」。この沖縄を本当にどうしたいのかを純粋に考えたときに、私たちの考えと県民の思いが一緒になったと思います。
沖縄から基地はなくせると話す山川恵吉さん
基地に依存しない経済は可能
基地と安保条約がなくなってこそ、沖縄は未来が開けます。経済問題にかかわって財界や保守政党は、本土復帰前は「今復帰するとイモとはだしの生活に戻る」と祖国復帰に反対していたものです。復帰後も「基地がなくなれば仕事がなくなる」と県民に圧力をかけてきました。しかし、今では「基地に依存しない経済」を言い始めています。
1987年に返還された北谷町のハンビー飛行場跡地は、ショッピングセンターや総合運動公園などがつくられ、基地時代より雇用も市の税収も増えています。基地が返還されれば、新しいまちづくりの展望が開けます。
沖縄は全国で唯一の亜熱帯地帯であり、ゴーヤやパイナップル、サトウキビなど特産品がたくさんあります。そして南の島としての観光も大きな可能性が開けています。
基地跡地を耕地や産業用地などに転用すれば、雇用も生まれます。
平和をつくる運動は、同時に基地に頼らない経済構造もつくりだすのです。これが民商・県連に求められる役割になると思います。
本土と沖縄が固く連帯すれば、基地はなくせると確信します。
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【略歴】1936年、沖縄県宮古島生まれ。45年、疎開先の台湾で終戦。沖縄本島に移る。働きながら27歳で定時制高校を卒業。現在の清掃用具レンタル業を始める。75年に那覇民商に入会。76年に沖縄民商を結成し、80年から2010年まで沖縄県連会長。妻と二人暮らし。
安保条約とは
正式名称は「日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約」。1960年、全国で大きな反対運動が起こるなか、旧安保条約から全面改定。米軍の日本駐留を認め、日本の戦争協力や軍事力増強を義務付けました。経済協力規定は、アメリカが日本に規制緩和を要求する根拠になっています。
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