復興・再建の正念場=岩手・宮古民商
岩手県 山田町「三陸味処三五十」
東日本大震災から7年。被害の大きさや復興計画の内容、地域事情などにより進捗は一様ではありませんが、多くの地域では防災集団移転や区画整理事業がほぼ完了。嵩上げが終わった区画では仮設店舗から本設への移行が進んでいます。生業とまちの再生はどこまで来たか、そして今後の課題は何か-。被災地からリポートします。
岩手県山田町で「三陸味処三五十」を経営する宮古民商の大杉繁雄さんは、店舗の本設を果たし街の復興のために奮闘しています。
家族で知恵出し前に進む
空き地が目立つ
約100席ある三陸味処三五十。建設関連のお客さんでにぎわっています
被災からいち早く店を再開し地域の復興に貢献してきた大杉さん
岩手県ふるさと食品コンクールで最優秀賞を取ったアカモクの佃煮
陸中山田駅から徒歩1分。1階と2階合わせて約100席ある店内は、昼も夜も地域のお客さんや建設関係の業者でにぎわっています。
山田町は3・11の津波被害とその後の火災で中心市街地の50%以上に当たる1300戸以上を焼失するなど甚大な被害を受けた地域。復興をめざす同町は、陸中山田駅から国道45号線周辺の約3.3ヘクタールを中心商業・業務拠点として整備し、コンパクトシティーづくりの計画を決定しました。このエリアには、共同店舗と約30の戸建店舗が建設されることになっていますが、岩手銀行、北日本銀行、宮古信金、JA、地域スーパー他数店が開いているものの、まだまだ空き地が目立ちます。三陸鉄道に移管されることになった駅舎も工事中で、鉄道再開は今秋9月ごろの予定です。
大杉さんは、津波で建てたばかりの新店舗を失うという大きな被害を受けたものの、その年の8月には被害を免れた自宅の1階に調理場を設け、弁当や地域の特産アカモクの佃煮作りをはじめ、1年後には仮設店舗での営業を再開しました。
しかし、震災ストレスが引き金になり繁雄さんは2015年、脳梗塞で倒れました。現在は会話も不自由はありませんが、運動機能に障害が残り療養リハビリ中です。店は長男と次男、二人の娘さんが引き継いでいます。
店舗建設に借金
三五十の前に建てられた復興住宅。空室が目立ちます
本設店舗の建設費用は1億2000万円。グループ補助金などを使っても、新たに8000万円ほどの借り入れが必要でした。今後15年で返済していくことになります。
繁雄さんは「建設関係のお客さんは減ってきているし、景気も良くない」と言います。「先日、食品卸業者が『沿岸部はすごく悪くなっている。お宅はどうですか』と心配して声を掛けてきてくれた。今のところ大丈夫だが、このままでは地域経済全体が腰折れしてしまう」と先行きを憂えます。
復興予算は20年で終了 二重ローン支払い不安
三つの不安要因
「店としても地域としてもアピールできることを」と話す長男の宗丈さん
繁雄さんがあげる不安要因は三つ。ひとつは、地域の基幹産業である漁業が元気でないこと。昨年水産業を再開した業者が、原材料を確保できなく行き詰まっているという話も聞こえています。温暖化で不漁ということもあるが「カキやホタテの養殖をやっていた漁師が、漁協に雇われる給料取りになって、元気をなくしていることにも原因があるのではないか」と推測します。
さらに、三陸縦貫自動車道路の開通です。仙台から宮古まで、350キロを一直線で走れるため、魅力のないまちは素通りに。震災後、浜の魅力が失われてきているのではないかと危惧します。
そして、復興庁も2020年までで解体されまとまった予算が切られてしまうこと。「今後地域をどうすればいいのか」と言います。
同町の被災業者は337。現時点の営業再開は198(58.8%)、廃業は130(38.6%)、転出4、未定5という状況です。
廃業増加さらに
同町商工会経営指導員の今野勇介さんは「仮設住宅の入居期限が間近に迫っています。高齢化が進み、後継者もいない業者も多いので、期限が切れると事業が継続できくなる業者がさらに増える」と見ています。
今、店を中心になって切り盛りしている長男の宗丈さんは「あと2、3年は大丈夫としてもその先は見えない。店としても地域としても、アピールできるようなことをやっていきたい」と話します。
顔を曇らせるのは、債権買取機構に買い上げられた債権(二重ローン)です。
「今は、利息分しか払っていないが、新店舗建設費用の借入は、すでに支払いが始まっており、復興できたとなると返済が求められることになる。そうなるとやっていけるかどうか。今は、まだ考えないようにしています」と苦笑い。家族で知恵を出して前に進んでいこうと決意を新たにしています。
全国商工新聞(2018年3月12日付) |