地域住民の生活を支えたい 被災地で店を開き続ける地元ストア=福島・相双
「この店が命綱になった」
「お客さんに助けられたよ」と話す中島宏さん(左)と孝さん親子
品物もそろいお客さんも頼りにしている中島ストアの店内
「この店が命綱になった」―。大津波で壊滅状態になった福島県相馬市松川浦。その中で震災直後から店を開け、水や食料を地域住民に供給してきたスーパーがあります。開店して27年になる中島ストア。相双民主商工会(民商)の前副会長、中島宏さんが経営する店です。
震災直後から水や食料を供給
「魚も肉もあるよ。安くしておくよ」。威勢のいい声が店内に響きます。東日本大震災から1カ月。今もお客から「あの時、開いていて本当に助かった」と、声がかかります。
3月11日の大津波は、浜に2軒あったスーパーを飲み込みました。着の身着のままで小学校などに避難した被災者。その目に映ったのが明かりをつけて営業している中島ストアでした。
水と食料を求める被災者の目つきも変わっていました。夜中2時過ぎに「助けてくれ」といって店に飛び込んできたお客もいました。
「最初の1週間は“戦場”でしたね」と中島さん。押し寄せるお客に店内の移動さえできないほど。車で、自転車で、そしてリュックを背負って歩いてお客が詰めかけました。
電気、ガスは無事だったものの、店も地域も断水。中島ストアは従業員をあげて水の確保・供給に走り回りました。簡易水道が無事だった市内の山上地区で水を確保し、トラックで何度も往復、無料で配りました。
3日目には棚からすべての商品がカラッポに。蓄えていたお米を放出してご飯を炊き、おにぎりを握り、パック詰めにして販売しました。
知り合いの農家にも呼びかけ、ニラ、ネギ、大根などの野菜も供給。被災した民宿・旅館からは「冷凍していた魚がダメになる。ぜひ売ってくれ」と頼まれ、タコやツボダイなどを店頭に並べました。
以来1カ月、休みなしの営業は今も続いています。「中島ストアは命の恩人」「水のありがたさがしみじみ分かった」。今も寄せられる被災者からの感謝の言葉です。「でも店を支えてくれたのは被災者である近所の人たちでした」と同店専務で長男の孝さんは振り返ります。
水をポリタンクに入れる、店内で品物を売りさばく…。人手が足りないと気づいた近所の人たちが手伝いに駆けつけました。
中島さん親子は言います。「放射性物質が漏れているといって、大手の流通業者は物資を届けもしなかった。そんな時に真っ先に届けてくれたのは近所の小規模な業者。地元業者のありがたさを今度の災害でつくづく感じました。私たちも近所の人たちに助けられたんですよ」
全国商工新聞(2011年4月18日付)
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