全国商工新聞 第3343号2019年1月7日付
「辺野古新基地建設反対」「新時代沖縄」を掲げ2018年10月、沖縄県知事に就任した玉城デニーさん。「新時代沖縄」は何をめざすのか。「基地に頼らない沖縄経済」を訴える全国商工団体連合会(全商連)の太田義郎会長と、沖縄の未来と中小企業・業者の役割について語り合いました。
全商連会長 太田 義郎さん
1944年2月、名古屋市生まれ。74歳。米穀商の長男。12歳のときに父親が急死。31歳で中村民商会長に就任。愛知県商工団体連合会会長を経て1990年に全商連副会長。2016年に全商連会長に就任
沖縄県知事 玉城 デニーさん
1959年10月、与那城村(現うるま市)生まれ。59歳。上智社会福祉専門学校(福祉主事任用課程)卒。内装工事業、ラジオのパーソナリティー、沖縄市議(1期)、衆院議員(4期、沖縄3区)を経て2018年10月4日、沖縄県知事に就任
太田 あけましておめでとうございます。
知事選は大激戦でした。私たちも「商工新聞号外」を2回、計5万枚を配り、デニーさんの勝利を呼び掛けました。結果は県知事選史上、過去最高の39万余票を獲得し、8万票差をつけての勝利。さまざまな課題も浮かび上がっていますが、今日は「新時代沖縄」について大いに語り合いたいと思ってきました。
玉城 選挙での大きな支援、ありがとうございました。
知事就任直後から、辺野古埋め立て問題をめぐって政府との集中協議を行ってきましたが、12月に入り、政府は十分な説明や届け出もないまま民間の桟橋を利用し、辺野古への土砂投入を強行しました。新基地建設反対の民意が繰り返し示された中での埋め立て強行。断じて許せません。
2月には辺野古移設の賛否を問う県民投票も実施される予定です。基地問題、辺野古移設問題は、「新時代沖縄」をつくり上げていく上で、避けて通れない大きな問題です。
太田 私は沖縄への強い思い入れがあって、自分なりに探求を続けていますが、沖縄は日本のふるさとなんですよ。
例えば古事記の中には「歌垣(うたがき)」という行事が記されています。男女が共同飲食をしながら求愛歌を掛け合う風習で、東南アジア、インドネシアなどから伝わってきたものです。今も沖縄で行われている「毛遊び(もうあしび)」にもその要素が色濃く残っている、といわれますが、かつては同じような習俗が日本全国に広がっていた。つまり、沖縄を「窓口」として南方のメラネシア、ポリネシアなどの文化や風俗が日本本土に伝わり、日本の古代社会や文化が形成されていったんですね。
玉城 スケールの大きな話です。太田会長の沖縄への熱い思いを感じました。
長い時の流れの中で、沖縄にはさまざまな事象、交易・交流があり、文化も伝わってきました。東シナ海の交差点の真ん中にあるような島、という地理的必要性から、歴史的役割も求められてきました。
少し振り返ると、琉球王国末期には、米海軍提督のペリーが江戸へ入る前に沖縄に寄って、琉米修好条約を締結しました。フランス、オランダも同じように締結し、食料、水、燃料などを補給する一方、琉球からは珍しいものを販売するという、交易・交流がありました。
そうした歴史を踏まえたとき「新時代沖縄」は、新しいものだけをめざすわけではない、と私は考えています。
昨年の知事選で配った商工新聞号外を前に、「新時代沖縄」を語り合う玉城デニー知事(右)と太田会長
太田 選挙戦で知事は、「新時代沖縄」だけでなく、「ちむぐくる」という言葉を何度も使われました。
実は沖縄探求の中で、本当の意味がよく分からない言葉が、この「ちむぐくる」でした。
玉城 沖縄には、ご先祖さまから受け取っている「思い」や、歴史上語られてきた物語、言葉、事実があります。そして幾度かの「世代わり」もありました。
薩摩藩による琉球王国侵攻、明治政府による廃藩置県(琉球処分)、1972年には、戦後27年間統治していたアメリカから日本に政権が移りました。「世代わり」とは沖縄の人たちの言葉ですが、その都度、国の圧力の荒波に翻弄されてきたわけですね。
沖縄の深いところは、いろいろな歴史や時代があっても、すべてを包み込んで「みんなで頑張っていくんだよ」「今までの歴史や持っているものも大事にして分かち合っていくんだよ」という気持ちが「アイデンティティー」としてずっとつながってきている。このつながっている「アイデンティティー」を、一言でいうと「ちむぐぐる」なんです。
太田 そういうことなんですね。長年の疑問が氷解したような気がします。
玉城 分かりやすく伝えるため、私は「まごころ」と訳しています。「まごころ」には「私心がない」。要するに見返りを求めない。これが「ちむぐぐる」です。
あなたが「私のちむぐくる」を分かってくれたら、「私はありがたい」と思うだけなんですね。「ちむぐくる」を受け取った人が、この「ちむぐぐる」は何だろうと考え、自分なりの「ちむぐくる」を発見した時に、沖縄とつながったという気持ちになるんじゃないか、と私は思っています。
あと3年余で沖縄は復帰50年を迎えます。私たちは「その先の未来」を見つめるけれども、常に過去を振り返り、足元を見つめ、将来を見通していく。その岐路に常に立ち、大海原に向かって船を進めていく躍動感、ワクワク感を「新時代沖縄」という言葉に込めています。その気持ちが伝われば、うれしいですね。
デニー知事を囲む沖縄県連の役員ら。親指、人差し指、小指を立てるのは、山川ひとし(豊見城市長)、デニー知事、城間みき子(那覇市長)の1、2、3の数字と勝利を意味するサイン。手話では「アイラブユー」を意味します
太田 過去を見つめ、新時代を見据えるワクワク感が「新時代沖縄」に詰まっているわけですね。
これは私の片思いなんですが、琉球王朝400年の歴史を受け継ぐ沖縄として、古代万葉語や陶芸、織物、文化などを総合的に研究する大学院大学を設置してほしい。また、循環型の交通体系、基地に頼らない自立した沖縄経済の探求をぜひ進めていただきたい、と思っています。
沖縄を中心に半径5000キロメートルの円を描けば、南アジアに近いところまで広がります。琉球王朝は、そうした国々と交易することで軍事力ではなく、平和外交で生きてきた。力で支配する考えよりも、みんなが手をつないで、仲良く生きていこうというのも、沖縄のアイデンティティーではないでしょうか。
玉城 まさにそうです。私は今度の選挙で自分の出自を堂々と語りました。
私の父親はアメリカ人で、母親は日本人。僕は母子家庭に生まれ、2歳から10歳まで別の家庭の子どもとして育てられました。
出自を語ったのは「新時代沖縄」と、そのキーワードである「自立」「共生」「多様性」という三つの言葉が深く結びついているからです。
「自立」は、みんなそれぞれ立場があり、みんな個性を持っている。しかし「共生」とは、自立しているお互いが、個人のみならず国も認め合っていくものですから、そのために一番大切なのは「多様性」です。
みんな違っていることが当たり前と考える。その良さを生かしていくためには「ケンカよりは話し合い」。つまり「平和」ですよね。平和によってお互いの信頼を構築していくことの大切さを堂々と発信していきたい、と考えたからです。
太田 おっしゃる通りですね。「基地に頼らない沖縄」をめざすには、「自立した地域経済」が必要になります。
例えば、沖縄の最低賃金は東京の6~7割です。若い人たちは仕事があるが、貧困だというのは賃金の低さの問題がある。やはり、公契約条例などによって、働く人たちの賃金全体を高くする。それを県民全体の意思にしていくことが必要ではないでしょうか。
大企業が少ない沖縄だからこそ、農業、林業、漁業など多様な1次産業をどう育成していくのか。また、自然との共生でいえば、沖縄に特有の強い風を含め、自然のエネルギーを分けてもらって「循環する地域経済」をつくりあげることも大きな課題ですね。
玉城 諸外国の方々は日本全体のエネルギー構成を見ると、「なぜ再生可能エネルギーの割合が低いのか」と、驚かれます。国は原発を、ベースロード電源として位置付けていますが、沖縄には、原発がありません。では、何をベースロードにするか。さまざまな形の自然エネルギーですね。
沖縄は海に囲まれ、風力、太陽光だけでなく潮力など自然エネルギーに恵まれ、先端分野の研究開発によって、エネルギーを自らつくることが十分可能な地域です。
その技術開発と、アジアの国々の技術革新を交流する中で、エネルギーに投資していた分を、人に、そして地域に投資をしていく。つまり「投資のチェンジ」も重要な視点になってくると考えています。
太田 離島の島々の自立した経済・エネルギーの解決も大きな問題ですね。離島同士の連携を強化することによって「基地がなくてもやっていける経済」に挑戦できるのではないでしょうか。
玉城 離島はスマートエネルギーの実証実験をする上で、非常に適した地域ですが、サトウキビにも新たな可能性が見つかっています。今までは含蜜・糖蜜という砂糖をつくる、あるいはエタノールの原料として主に使われてきましたが、その成分が糖尿病に効果的であるという研究成果が明らかになりました。
サトウキビは離島の基幹作物ですから、新しく魅力ある産業が生まれる可能性や夢が膨らんでいるわけです。離島から始まった新しい産業の成果が沖縄本島に、そして沖縄本島から日本に広がっていけばと思っているんですよ。
太田 夢が膨らみますね。「新時代沖縄」をつくっていく上で、私たち中小業者の役割も大きいですね。
玉城 沖縄の事業所のほとんどは中小企業と小規模業者です。それは雇用を支える大切な場所であり、支えているのは家族です。
県としては、非正規から正規に転換する場合の育成支援や技術のスキルアップ、習得のための支援などに力を入れたい。IT関係が活躍できる時代がここ数年でもっと広がりますから、ITを使ったシステムやプログラムを取り入れる際、中小企業・業者の意見を広くしっかり取り入れる体制も講じることが必要だと考えています。
太田 沖縄に特有の泡盛などのアルコール文化も、沖縄の歌や踊りとともにアジア・世界に広がっていくといいですね。
玉城 泡盛の文化がなかったヨーロッパなどにも、沖縄の食と泡盛をセットにして、ネットワークで展開を図ろうとしている若い経営者も出ています。もちろん、歌や踊りの文化にもつながってきます。
太田 そうですね。それは「平和の文化」とも深くつながってきますね。
玉城 「平和の文化」の発信とともに、平和の緩衝地帯をめざす沖縄の姿を国民にも、私は訴えていきたい。「日本は平和が一番だよ。平和だからこそ、お互いの経済も発展していくんだよ」。それが実感できるように頑張りたいと思っています。
太田 私たちもそのために力を尽くしたいと思います。ありがとうございました。