全国商工新聞 第3333号10月22日付
「控訴審でも勝利して安全なくらしを取り戻したい」と話す中島団長(中央)と原告団・弁護団
東京電力福島第1原発事故の被害者約3600人が、国と東電に慰謝料と原状回復を求めた「生業を返せ、地域を返せ」福島原発訴訟(生業訴訟、中島孝団長)の控訴審第1回口頭弁論が仙台高裁(市村弘裁判長)で開かれました。意見陳述で中島団長は、国、東電の法的責任を認めた一審判決に触れながら、控訴審では被害救済の拡大を含め「勇気と正義にあふれる判断を」と求めました。
意見陳述したのは中島団長と相馬市内で事故に遭った70代の女性原告、一審原告代理人の弁護士3人に加え、一審被告国側代理人の計6人。
中島団長は事故から7年半を振り返りながら、「事態はわれわれがめざす方向には進んでいない。無遠慮な再稼働に舞い戻り、その一方で被害者の切り捨てが進行している」と告発。「一審判決に続き、国と東電の法的責任を明快に認め、併せて一審判決では認められなかった賠償対象者や賠償水準についても被害を認め、救済を図ってほしい」と訴えました(下に別項)。
避難指示解除後に自宅に戻った70代女性は、住民は戻らず賠償は打ち切られている実態を紹介し「これから死ぬまで食いつなぐことができるのか、不安が募るばかり」と語りました。
一審原告代理人の久保木亮介弁護士は、巨大津波による事故は予見でき(予見可能性)、国の規制権限を行使すれば事故は回避できた(結果回避可能性)ことを、2002年に国の地震本部がまとめた「長期評価」をもとにあらためて論証。国が持ち出している「確率論で評価する」との“反論”についても「予見義務違反を免責する理由にはならない」と批判しました。
被害・損害論では渡邊純弁護士が、一審判決の賠償について「深刻な被害を切り捨てる極めて不当なもの」と批判。とりわけ旧避難区域については「帰還しても事故以前の平穏な生活は取り戻せていない」とし、その実情を理解するために「裁判官による検証の実施」を強く求めました。
南雲芳夫弁護士は「前例のない被害に対しては憲法の理念に立ち返った究明が求められる」と言及した上で、「司法判断という使命を担う者として、被害の実相を究明し、被害をもたらした責任を明らかにすることによって歴史に残る役割を果たしてほしい」と結びました。
一方、国は「長期評価」については、「予見できたとはいえず、国家賠償法上の違法性は認められない」「現在の賠償制度は合理的」とこれまでの主張を繰り返しました。
「生業を返せ」「地域を返せ」と仙台市内をデモ行進する生業訴訟の原告団・弁護団
控訴審には、原告団、弁護団に加え、福島、東京、神奈川、千葉などで裁判をたたかっている原告団の代表はじめ全国の支援者ら350人が結集。傍聴席に入りきれなかった支援者は、仙台弁護士会館で模擬裁判・交流集会を開催。裁判終了後は報告集会に切り替え交流しました。
報告集会では、生業弁護団事務局長の馬奈木厳太郎弁護士が「高裁での原告本人尋問も裁判所による現地検証も、次回の期日で大きく方向が決まる。次回期日にはもっと多くの人が裁判所に駆け付けてほしい」と力を込めて訴えました。
裁判に先立って、参加者は仙台市内をデモ行進。太鼓の音を響かせ、「再稼働反対」「生業返せ」「ふるさと返せ」などとコールしました。出発集会では宮城県連の三戸部尚一会長が「ともにたたかい勝利しよう」と呼び掛けました。
昨年10月10日、福島地裁において、第一審の判決が出されました。判決は、国と東電の法的責任を明確に認めましたが、原状回復請求は、心情的には理解できるとしつつも結論的には却下とし、被害・損害については、賠償対象者、賠償水準のいずれも、被害救済として十分なものとはいえない内容にとどまりました。これらを不服とし控訴しました。
福島は、東に豊かな漁場である太平洋を望み、中通りでは果樹の栽培が盛んで豊かな平野が広がります。会津地方は磐梯山と猪苗代湖に代表され、秋には黄金色の稲穂が風に揺れます。周囲には山々が深く広がり、春には山菜、秋にはキノコ狩りと自然の恵みは尽きません。
しかし、本件原発事故は、地域で生きる住民の生業と生活の基盤を大きく傷つけました。
強制避難区域の方は、狭い仮設住宅に暮らし、以前のように仕事ができない苦痛とやるせなさに耐えながら、暮らしや仕事がまた元のように戻ることを夢見て、希望を失うまいと必死に頑張ってきました。
2017年3月、放射線量が年20ミリシーベルト以下になったとして、国により、ほとんどの地域の避難指示が解除されました。
それでもそんなに簡単には帰れません。自宅の周囲にはあちこちホットスポットがあります。帰還者も少なく、仕事を再開できる見通しも立たないなら、若夫婦が子どもを連れて帰る決断などできるものではありません。20㍉シーベルトと言えば一般人が立ち入ることが厳しく禁止されている放射線管理区域の約4倍も高い値です。
線量の高さに加えて、商圏や医療機関など社会的インフラの未整備も深刻です。楢葉町で飲食店を開いていた原告も、帰還し、再び商売を始めようと準備を進めていますが、お店を再開できたとしても、営業が成り立つのかは全く分からないと不安を打ち明けます。
帰還しているのは高齢者の方の一部にとどまり、帰還率が1割に達しない自治体も多くあります。しかも、国は生活再建が実現されているかなどお構いもなく、解除の1年後に賠償金を打ち切りました。生活に困る人も出てきています。被害者は新たな苦しみを背負い、なんとかつなぎ止めていた故郷での生活という希望は絶望へと変わりつつあります。
事故の収束や廃炉作業がなかなか進まず、汚染水漏れが度々起きる現状から、消費者の不安が消えないのは当たり前です。トリチウム水を海に流すことも検討されています。
それなのに、低線量被ばくを怖がるのは根拠のない危惧、不安の類であって、科学的知識を持てば不安は消える、「風評」被害も消えてなくなると、国や東電は主張しています。しかし、普通の生活感覚があるならば、そして、非常な恐怖に襲われたあの体験を覚えているならば、不安が続くのは当然なのです。
子どもの命を守りたい一心で、いわゆる「自主避難」を選択した方もいます。取るものもとりあえず避難したものの、避難先で従前の収入を得ることは困難です。大人も子どももいじめに遭ったり、慣れない土地での緊張に心身をすり減らしています。
今日、事態はわれわれがめざす方向には進んでいないと言わざるを得ません。無思慮な再稼働に舞い戻り、その一方で被害者の切り捨てが進行しています。国と東電はあの事故から何も学ぼうとしていません。われわれの苦労は無意味なものとされてしまうのか。しかし、われわれはそれほどに愚かしくはない、私はそう確信しています。困難から脱却して未来をつくろうと努力する人々を数多く見たからです。
一審判決に続き、国と東電の法的責任を明快に認め、併せて一審判決では認められなかった賠償対象者や賠償水準についても、なんとしても被害を認め救済を図っていただきたい。
被害者が声をあげ、司法もその勇気を鼓舞し社会正義を確立したと後世語り継がれるような、勇気と正義に溢れる判断をお示しくださるようお願い申し上げ、原告を代表しての陳述とします。