戦争や紛争が続き、核兵器使用の危険が高まる世界に、うれしいニュースが届きました。今年のノーベル平和賞が日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)に授与されるというものです。受賞を喜び合い、心からお祝いの言葉を送ります。
受賞の理由は、日本被団協はじめ被爆者の代表が「被爆者の目撃証言を通じ核兵器が二度と使われてはならないことを身をもって示してきた」ことです。核兵器の非人道性を明らかにする草の根の運動が、この80年弱、核兵器の使用を許さなかった「核のタブーの確立」に寄与し、「核兵器禁止条約」成立の大きな力になったと評価されました。
日本被団協が結成されたのは、被爆から11年が経過した1956年です。54年3月1日、アメリカがマーシャル諸島ビキニ環礁で行った水爆実験を契機に、原水爆禁止の運動が日本中に広がりました。翌55年に第1回原水爆禁止世界大会、そして日本被団協が結成されました。広島、長崎への原爆投下からおよそ10年間、米国による占領と原爆報道の規制の下で、被爆者の被害は隠され、本格的な治療も受けられず、差別と偏見の下で声を上げることもできませんでした。ノーベル賞委員会は「大きな犠牲を伴う自らの体験を、平和のための希望と活動に捧げることを選んだすべての生存者に栄誉を授けたい」としました。
被爆者の皆さんは、本紙にもたびたび登場して被爆体験を語り、中小業者の中に核兵器廃絶の理念を醸成させ、民商・全商連の「平和でこそ商売繁盛」の信条をより強固なものにしていただきました。
全商連は広島・長崎の被爆者が2016年に提唱した「ヒバクシャ国際署名」連絡会にも参加し、日本被団協をはじめ多くの団体と運動を広げてきました。この署名は、国内外で1370万人分余りが集まり、2017年7月7日の国連「核兵器禁止条約」採択に、つながりました。
日本政府は核廃絶への国際世論の高まりに背を向け、「核抑止力」に依存し、核兵器禁止条約への参加を拒否しています。来年の被爆80年に向けて、唯一の戦争被爆国である日本が、核兵器禁止条約を批准するよう、政治を変える運動が、ますます重要です。